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刀にはその姿、形、反り、刃紋、地肌、樋のあるなし、重さ等々いろいろな種類があることは

勿論ですが、武士が命を守るものとして見た目や刀の値ではなく、差す人にとって使い易さが

何より第一だったと思います。



人の体力、筋力、身長、手の長さなど使い易さを決める要因はいろいろあるでしょう。

しかし、古来時代背景もあって刀の長さは標準として決められた”長さ”がありました。

それが ”定 寸” と言われるものでした。


重い甲冑をつけて闘い、一挙動で抜き打てる便利さから戦国時代は、二尺二寸(約66cm)が

定寸でした。

戦争に明け暮れる時代が終わり、戦争のない江戸時代になると、この定寸も崩れたが、正保2

年(1645)徳川幕府は定寸を定め、二尺三寸から二尺三寸五分(約69~70.5センチ)としま

した。

ところが政治、経済、文化が爛熟してくるとこの定寸も崩れ様々な長さの刀が流行り、江戸後期

には、復古運動の一つとして二尺五寸を超える長尺な刀も復活したりしましたが、洋式軍隊の

普及に伴い軽装で動き易い軍服とともに、再び二尺二寸が定寸となり、明治時代の軍刀もこれ

が基準となりました。

ところで、武士や剣技を誇る名剣士の佩刀、所蔵の刀剣は、人それぞれ千差万別で、特徴も

あります。

そこで、ご自身も夢想神伝流居合の高段者であり、剣術、剣技に関する著書も多い牧秀彦氏

の著書に「剣豪 その流派と名刀」(光文社)という本があります。

その中から著名剣士の愛刀の項から判り易く手を加えさせていただき紹介したいと思います。



・丸目蔵人佐(タイ捨流の祖)ー「来 国俊」(鎌倉時代元寇の頃、山城国の刀工、名刀の名が
  高い。

・荒木又右衛門(伊賀の仇討ちで有名)ー伊賀守金道(二男)寛永年間美濃・京都の刀工。
  三十六人斬りと言われるが講談ネタで、実際は三~四人。
  すぐに折れてしまい有りものの刀で闘った。

・柳生連也斎厳包(尾張柳生四代目)ー延宝年間 関の刀工、大刀が
  ”籠釣瓶”、小刀が”鬼の包丁”という。

・長谷川平蔵(池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」で知られるが実在の人物。
  出仕には粟田口左近国綱、捕物出役には柳生拵の井上真改(摂津大坂の刀工)

・勝 海舟(ご存知江戸城無血開城の立役者)―水心子正秀文化年間の刀工、  豪刀造を目
  指す新々刀の祖。

・榊原鍵吉(幕末直心影流の剣豪)―同田貫明治22年天覧で只一人名工明珍作の鉄兜を
々と斬り込んだという技量を活かす名刀。

・近藤 勇(新撰組局長)ー長曽禰虎徹(越前福井の甲冑鍛冶から50歳で江戸に出、甲冑を
  截ち斬る刀工に)

・土方歳三(新撰組副局長)ー会津和泉守11代兼定(二尺八寸)明治後半まで続いた
  東北の名工。

・沖田総司(新撰組助勤)ー菊一文字(後鳥羽上皇の御用鍛冶
  六葉の菊花を刻むことを許された備前岡山の刀工、その刀の
  真贋は定かではないという。

・岡田以蔵ー肥前二代忠吉忠広(佐賀・長崎の肥前刀の刀工。
 坂本竜馬に仕え”人斬り”と恐れられる。
 竜馬から借りたまま返さず愛刀にしてしまった。

しっとくよもやまばなし・・・・・

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