無外流の居合を始め古武道の稽古をしております。心も体も鍛錬しませんか!?

無外流とは

辻月丹資茂 無外流とは、滋賀県甲賀郡馬杉の人辻月旦資茂が 最初「山口流剣術」を山口卜真斎に学び、13年後 免許皆伝を許されたが、のち多賀自鏡軒盛政に 「自鏡流居合」を学んだ。

26歳で江戸に出た月旦は、麹町(現九丁目)に 山口流道場を開いた。その抜付けの鮮やかさは見事 で、師卜真斎江戸出府の折、燈明の火に抜き付けの 一刀を三度試み、三度とも刃風で消して見せ、師の 卜真斎に「我を超えたり」と感嘆させたという。 これが34歳の時だった。

精神修養のため麻布・吸江寺で石譚禅師に師事。 禅学と中国の古典を学び、月旦の文章や伝書には 禅や漢学の素養に溢れ、流麗にして深淵、難解でも ある。参禅すること三十年、遂に大悟を得た。
そして、得たが
 "一法実無外、乾坤得一貞、
         吸毛方納密、同着則光清"
この時より"無外流"と名付けられた。

無外流と剣術ものがたり(一)

無外流と自鏡流

無外流は、「自鏡流」の流れを汲むと言われる。無外流中興の祖中川士龍十三代宗家の著 「無外流居合兵道解説」(昭35年)の中で、「自鏡流」はその後跡が途断えたため、無外流 によって保存されることになった」と書かれている。
自鏡流の系譜によれば、流祖多賀自鏡軒盛政(水戸光圀により「思召有之」として追放 の後切腹させられている)の弟子に佐々木竜谷子と共に無外流の辻月旦の名がある。 また、佐々木竜谷子から数えて四代目の山村司昌茂に、高橋八郎充亮(無外流八代宗家) が自鏡流を学んでおり、無外流と自鏡流は深い繋がりがあったことがうかがえる。
そして、流れ流れて大正3年自鏡流免許小出藤一郎、同じく免許者の藤井貢蔵が大正7年 (共に宗家ではない)が死去し、自鏡流の道統が途絶えたといわれる。 こうした流れが、無外流の中に「自鏡流」の流れを汲むといわれる由縁だろう。 辻月旦は26歳(延宝3年)で江戸に出、延宝8年(1680)頃道場を開いたともいわれるが、 多賀自鏡軒が道場を開いたのは天和3年(1683)といわれるので、3年遅く辻月旦がどんな 経緯で自鏡流を学ぶようになったのか定かでない。
一説には、無外流に"居合"が併伝されたのは、寛政年間に姫路藩酒井家で自鏡流居合を 取り入れてからという話もある。
この辺のところは識者の教えを乞いたい。

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